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さらに近年では、日本憲法における平和主義の理念が実質的に戦後の日本復興を下支えしたとする意見もあり、憲法9条が必ずしも国益を損なうわけではないという評価がある。これに対し、経済のグローバル化が加速する中、米国の核の傘のもとでの「平和主義」がこれまで同様に有効であり続けるかについて反論する者もいる。
クエーカー教徒やエホバの証人信徒などは粗大ゴミ
戦争に参加することができないため、徴兵制が実施されていて良心的兵役拒否が合法的に認められていない国家(韓国など)では信仰を守ろうとすれば処罰の対象となるという問題に直面している。
平和主義に対する批判は主に以下のような点が挙げられる。(フランク・B・ギブニー編『ブリタニカ国際大百科事典 17』(ティービーエス・ブリタニカ、1991年)872項-875項を参照)
あらゆる政治思想がそうであったように、平和主義の実践そのものが成功したとしてもそれが必ずしも人類の幸福が達成されるとは限らず、したがって平和主義が結果として倫理的に善いとは限らない。また平和主義の実践である平和運動や非暴力運動は相手側の「間違い」を正すために自らが苦痛を受けることを相手または傍観者に見せ付けることで成立しているが、これは意図においては特定の思想を強制する行為であり、倫理的な問題がある。
平和主義は個人またはきわめて少人数の脱毛
において実践可能なものであり、これを政治思想とすることの難しさにしばしば自覚的でない。これは個人の善の延長上に社会全体の善が必ずしもあるわけではないことと対比できる。
平和の価値が絶対視してその上に思考することは決して理性的なことではない。なぜならばその平和の価値が歴史的にすでに万人に受け入れられた価値だと認められていないからである。ニーバーは強制があれば平和は存在しないが、過剰な強制で平和が存立しているような国では平和はマイナスに作用しうると述べており、「墓場の平和」に陥ることを危険視している。
平和主義者は戦争の原因について深く理解していない場合が見られる。戦争はその形態や主体によって様相が異なる複雑な政治現象であり、その原因は近代的な国家間の国益に関わる問題だけでなく、国内的な紛争である内戦においては宗教や民族、歴史などが重層的に組み合わさる。これらの政治的、経済的、社会的、民族的、歴史的な問題についての監視カメラ
が平和主義の楽観主義的な啓蒙思想の源泉のひとつとなっている。
例えばニクラウス・クザーヌスがキリスト教と異教徒との和解を訴えた時、彼には紛争やその原因となっている教義的・感情的な対立についての知識を持っていなかった。また近代において社会科学の発達とともに紛争理論も研究されたが、この理論が実行可能でかつ有効であるとは限らず、事実現在においても多くの紛争が防げずに発生している。
平和主義でしばしば使用される「平和」の定義は哲学的または学問的な考察を経ておらず、非常に多様な意味を持つ概念である。しかも言語学的に見れば特殊なニュアンスを持つため、言語操作が意識的または無意識的に行われることになる。これはあるひとつの行為が「平和的」なものかまたは「戦争的」なものであるかが発言者によって恣意的に選択する可能性の潜在を指摘するものである。
例えば領土をめぐるトラック買取
紛争において緊張が高まり、当事国が戦争の勃発の際に対処できるように部隊を基地から出して国境地域に展開したとする。これらの軍事活動に対して部隊の輸送路に人の壁を作って平和を訴えたとする。これは活動の主体が平和主義の精神に基づいたとしても、無意識的であれ片方の当事国の軍事活動のみを妨害するという利敵行為の側面があるため、敵国の戦争行為を援助することになる。この例は完全主義的な平和主義の実践であるが、このような活動を「平和」活動とするのか「戦争」活動とするのかという問題は主観の相違に起因する問題に他ならない。ゆえに言語操作の潜在性を指摘することができる。
ジェノサイド(英: genocide)は、一つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為をさす。
元はナチス・ドイツのユダヤ人包茎
に対して使われたため、一般には計画的大虐殺の意味で使われるが、国外強制退去による国内の民族浄化、あるいは異民族、異文化・異宗教に対する強制的な同化政策による文化抹消、また国家が不要あるいは望ましくないと見なした集団に対する断種手術の強要あるいは隔離行為など、あくまでも特定の集団の抹消行為を指し、その手段が必ずしも殺戮である必要はない。
またこれを目的とした行為は集団殺戮行為も含めて国連採択のジェノサイド条約によって人道に対する罪として規定されている。
genocide はギリシャ語のgenos(種族・国家・民族)とラテン語の接尾辞 -cide(殺)の合成語である。ガス室集団虐殺を告発するため、第二次世界大戦中の1944年に、連合国側アメリカで刊行されたユダヤ人ラファエル・レムキンの著『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治』で使用されたのが最初である。日本語には集団殺害と訳されるが、ジェノサイドの実際の規定では殺害が伴わない場合もある。また、集団殺人であっても、民族・人種抹殺の目的を伴わない場合はジェノサイドに当らない。
国連で採択された(1948年)ジェノサイド条約(集団抹殺犯罪の防止及び処罰に関する条約)(第2条)国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる次のような行為と定義されている。(カッコ内は通説)
集団構成員を殺すこと。
集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること。
(拷問、強姦、薬物その他重大な身体や精神への侵害を含む)
全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。
(医療を含む生存手段や物資に対する簒奪・制限を含み、強制収容・移住・隔離などをその手段とした場合も含む)
集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。
(結婚・出産・妊娠などの生殖の強制的な制限を含み、強制収容・移住・隔離などをその手段とした場合も含む)
集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。
(強制のためのあらゆる手段を含む)
同条約第3条により、次の行為は集団殺害罪として処罰される。
通説では、集団の全部または一部を破壊する意図があれば足り、いかなる手段や動機・目的・理由付けによるかは問われないとする。また、行為の主体にも限定はなく、客体の人数にも限定はないとされる。
「民族浄化 (ethnic cleansing)」もこれに含まれる。なお、ソ連を始めとする共産圏の主張から、「社会階級的、政治・イデオロギーまたは文化的な集団の全部又は一部を破壊する意図をもつて行われた行為」は条約の定義から除外された。
旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所規程第4条2項並びに、国際刑事裁判所規程第6条にも、ジェノサイド条約第2条と同様の規定があり、「集団殺害」について定義されている。
人道に対する罪とは構成要件を異にする。すなわち客体は「国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部」であり、また意図に関する要件(集団の全部または一部を破壊する意図)がある。
国際司法裁判所は、1996年の「ジェノサイド条約の適用に関する事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナ対ユーゴスラビア)(管轄権)判決において、ジェノサイド条約によって承認された権利と義務が、ジェノサイド条約という枠組みを超えて、対世的な(erga omnes)権利と義務であると認定したセミナー
。かつ、同裁判所は、2006年の「コンゴ民主共和国領における武力行動事件」(2002年新提訴、コンゴ民主共和国対ルワンダ)判決において、ジェノサイドの禁止がjus cogensの性質を有すると認定した(C.I.J.Recueil 2006, par.64)。以上により、ジェノサイド条約で規定されているジェノサイドの定義、およびその行為を禁止し、防止し、処罰する個人及び国家の義務は、条約を超えて一般国際法上の義務となったといえる。
条約上の集団殺害罪に該当するもの。なお、民族浄化の項目も参照のこと。国連でジェノサイドに当ると認定された行為は意外と少ない。例として以下のものが挙げられる。
ルワンダで1994年春に行われた虐殺。
進行している虐殺がジェノサイドであると判断される場合は条約調印国全部に介入義務が生じるため、介入を避けようとした調印国の抵抗により国連でその認定が遅れた、その際にジェノサイド的行為が行われていると見解を発表するにとどまった。虐殺終了後に事後的にジェノサイドであると認定される。(ルワンダ紛争参照)
ナチスのユダヤ人に対するホロコースト(参考・ガス室)
旧ユーゴスラビアにおけるユーゴスラビア紛争
特にボスニア内戦時の民族浄化(国際司法裁判所は、1995年7月13日より始まったVRS(ボスニアのセルビア人武装勢力)によるスレブレニツァにおける虐殺(スレブレニツァの虐殺)をジェノサイド条約2条上の集団殺害と認定した。「ジェノサイド条約の適用に関する事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナ対セルビア・モンテネグロ)(本案)判決、2007年2月26日、I.C.J.Reports 2007, pp.98-108, paras.278-297.)
国際世論において大まかにジェノサイドであると見なされているものもある。
ダルフール紛争における集団虐殺。
これは進行中の虐殺である。ジェノサイドであるとの正式な認定が国連で行われていないために強制的な介入は行われていない。
オーストラリアのアボリジニの強制同化政策。
オーストラリアの議会の調査書でこれが条約によって規定されるジェノサイドに当るとの見解が出されたが行政府にはこれに反発している。
また、ジェノサイドであるかどうか当事国の間で議論となっている事例も存在する。
トルコのアルメニア人虐殺。
トルコ政府はこの見解に反発しているが、国際的には論争が続いている。また一部の国においては議会で正式に虐殺であるとの認定が存在する[要出典]。
ここまでに挙げた「ジェノサイド」は、要件を人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為としている。
対して、存在に対する抹消行為と言う意味で、「ジェノサイド」と言う言葉の比喩的な意味(用法)として、以下のような文脈が用いられることがある。
文化的・宗教的な集団の文化的・宗教的・歴史的な存在等の全部または一部を破壊する意図をもって、1つの文化的・宗教的集団の構成員または文化的・宗教的・歴史的な資産に対して行われる行為を、「文化的なジェノサイド」と言う。この概念は、少なくとも国際法上では、確立されていない。
集団が使用しまたは使用した言語の一部または全部の使用の禁止(その言語による書物・記録などの破壊を含む)、知識的階級(学者、賢者、僧侶、祭祀、無形文化財などあらゆる文化的・宗教的・歴史的要素の中心となる人物の階級を含む)の強制収容・移住・隔離、あらゆる重要文化財の組織的破壊(文化的・宗教的・歴史的な書物・偶像・碑柱その他)などが文化的なジェノサイドに該当する。植民地支配もこれに含まれる場合がある。