先物取引と投資信託
- 情報源
-
陸戦法規(Rules of land warfare)は陸上作戦における武力行使についての規則であり、現代では主に1977年に署名された「1949年8月12日のジュネーブ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書」によって規定される。その内容は主に攻撃目標の選定と攻撃実行の規則であり[5]、従来の戦闘教義にも変化を促した。
攻撃目標の選定の原則は、攻撃を行う目標をどのように選定するのかについての原則である。まず攻撃目標は敵の戦闘員(Combatants)か軍事目標(military objectives)に定められる。戦闘員とは紛争当事国の軍隊を構成している兵員であり、陸戦法規における軍事目標とは野戦陣地、軍事基地、兵器、軍需物資などの物的目標である。[6]また攻撃目標として禁止されているものは、降伏者、捕獲者、負傷者、病者、難船者、軍隊の衛生要員、宗教要員、文民、民間防衛団員などの非戦闘員と、衛生部隊や病院などの医療関係施設、医療目的の車両及び航空機、歴史的建築物、宗教施設、食料生産設備、堤防、原子力発電所などの軍事目標以外の民用物[7]である。
攻撃実行においては主に三つの規則が存在する。第一に軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃の禁止を定めている。これによって第二次世界大戦において見られた都市圏に対する戦略爆撃は違法化されている。第二に文民と民用物への被害を最小化することである。軍事作戦においては文民や民用物が巻き添えになることは不可避であるが、攻撃実行にあたっては、その巻き添えが最小限になるように努力し、攻撃によって得られる軍事的利益と巻き添えとなる被害の比例性原則に基づいて行われなければならない。第三に同一の軍事的利益が得られる二つの攻撃目標がある場合、文民と民用物の被害が少ないと考えられるものを不用品回収
しなければならない。
海戦法規(海戦法、海上作戦法規)は海上での武力紛争に適用される戦時国際法である。海戦法規は海上での軍事目標、武力紛争における臨検・拿捕、機雷使用などについて定めたものである。海戦法規は陸戦法規とは異なり、その大部分が19世紀まで慣習国際法に基づいたものである。ただし海上戦力の多様化や新しい海洋法や環境法の成立があったことで、人道法国際研究所は海上武力紛争法サンレモ・マニュアル(San Remo Manual on International Law Applicable to Armed Conflicts at Sea)が完成させ、海戦法規の普及と、将来の条約化に貢献している。
海戦における軍事目標の規定は慣習国際法によって構成される。軍事目標として識別される敵国の船舶はまず海軍に所属した軍艦と補助船舶であり、これに対しては攻撃または拿捕することが可能である。また商船も直接攻撃や機雷敷設などの敵国の戦争行為に従事している、または敵軍の補助を行っているならば軍事目標である。また軍事物資の輸送作戦の従事などの戦争遂行努力(War effort)に組み込まれた敵国商船も軍事目標となる。ただし敵国の船舶であっても、病院船や沿岸救助用小型艇、などの非軍事的な任務を担う船舶は特別の保護を受けているために攻撃・拿捕が免除されている。
中立国軍艦及び軍用機は公海及び粗大ごみ
経済水域から成る国際水域においては自由に航行・飛行・訓練・情報収集などを行う権利を有する。中立国の軍艦や軍用機に対して攻撃することは、中立国に対する武力攻撃であり、中立国は自衛権を行使することが出来る。過失であっても攻撃した国家は国家責任を負うことになり、謝罪・賠償・責任者処罰・再発防止措置などが求められる。
空戦法規(空戦規則、空戦に関する規則案、Rules of air warfare, Rules concerning the Control of Wireless Telegraphy in Time of War and Air Warfare)は航空戦における武力行使について規定したものであり、ワシントン軍縮会議で設置された戦時法規改正委員会において日本、イギリス、オランダ、アメリカ、フランス、イタリアが1923年に署名した報告書で規則が定められたが、当時は将来的な航空機の発展可能性を鑑みて運用が制限されることを回避したために、現在条約として存在しない。しかし慣習法としてしばしば引用される場合がある。
軍用機は全方位から視認できる軍用の外部表式と単一の国籍を有し、軍人が操縦する航空機であり、これだけに交戦権の行使が容認される。非軍用機は交戦権が認められず、どのような敵対行為も禁止される。空襲は非戦闘員保護の観点から軍事目標、すなわちその破壊が交戦国に明確に軍事的利益をもたらす目標に限定される、などが定められている。
背信行為とは戦時国際法において敵の信頼を裏切る目的を持ちながら敵の信頼を誘う行為であり、禁止されている。背信行為の禁止は中世の騎士道に由来し、慣習国際法として確立され、1907年にはハーグ陸戦条約、1977年にも第1議定書で記された。その具体的な行為としては、赤十字旗などを揚げながらの軍事行動、休戦旗を揚げながら裏切る行為、遭難信号を不正に発信する行為などが挙げられる。
非戦闘員とは降伏者、捕獲者、負傷者、病者、難船者、衛生要員、宗教要員、文民であり、これを攻撃することは禁止されている。非戦闘員は保護対象であり、これを無視して危害を加えることは戦争犯罪である。
まず降伏者及び捕獲者はこれを整体師
としてあらゆる暴力、脅迫、侮辱、好奇心から保護されて人道的に取り扱わなければならない。捕虜が質問に対して回答しなければならない事項は自らの氏名、階級、生年月日、認識番号のみである。
また負傷者、病者、難船者も自動的な取り扱いを受け、可能な限り速やかに医療上の措置を受ける。衛生要員、宗教要員も攻撃の対象ではなく、あらゆる場合に保護を受ける。
文民とは交戦国領域、占領地での敵国民、中立国の自国政府の保護が得られない者、難民、無国籍者である。全ての文民は人道的に取り扱われる権利があり、女性はあらゆる猥褻行為から保護される。文民を強制的に移送、追放することは禁止されている。
これらは1949年のジュネーブ諸条約と1977年のジュネーブ条約追加議定書TとUにおいて定められている。
戦争犯罪(War crimes)とは軍隊構成員や文民による戦時国際法に違反した行為であり、かつその行為を処罰可能なものを言う。
交戦国は敵軍構成員または文民の戦争犯罪を処罰することが出来る。
また国家は自国の軍隊構成員と文民の戦争犯罪を処罰する義務を負う。戦争犯罪人には死刑を処すことが出来るが、刑罰の程度は国内法によって定められる。
特に重大な戦争犯罪として考えられるものとしては、非戦闘員への殺害・拷問・非人道的処遇、文民を人質にすること、軍事的必要性を超える無差別な破壊・殺戮など様々に考えられる。
1998年には戦争犯罪等を裁く常設裁判所として国際刑事裁判所規程が国連の外交会議で採択された。
交戦当事国とそれ以外の第三国との関係を規律する国際法である。中立国は戦争に参加してはならず、また交戦当事国のいずれにも援助を行ってはならず、平等に接しなければならない義務を負う。一般に次の三点に類型される。
戦争犯罪(せんそうはんざい)とは、狭義には戦争に関する法に違反する行為(交戦法規違反)と戦時反逆罪(作戦地・占領地内における非交戦者による利敵行為)を意味し、広義には交戦法規違反に加え平和に対する罪・人道に対する罪を含めた概念を意味する。
具体的には、他国に対して侵略戦争を仕掛けたり、敵兵・捕虜に対して非人道的な扱いをすることなどである。また、民間人に対しての殺戮・追放・逮捕など、紛争や混乱の誘発や報復感情の拡大の原因となる行為と言動も、戦争犯罪であるとされている。
かつて戦争犯罪と定義されていたのは、捕虜の虐待を禁じた「ジュネーブ条約」や、非人道的兵器の使用を禁じた「ハーグ陸戦条約」など、戦時において守られなければならないとされる国際法(戦時国際法)違反行為のみであった。
第一次世界大戦終結後、戦勝国が敗戦国の指導者を裁くことが国際的に協議され、戦勝国であるアメリカ合衆国・イギリス・フランス・イタリア・日本の連合国側は、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世を、国際道義に反したという理由から、当時の連合国五カ国の裁判官による裁判にかけることを決めた。だが中立国であるオランダが亡命していたウィルヘルム2世の引き渡しを拒んだため裁判は行われなかった。[1]また「人道に対する罪」はこの時のパリ講和会議において、敗戦国ドイツに対し初めて罪状として指摘されたとする説もある。
第二次世界大戦の最中、連合国側はドイツの残虐行為を幾度も非難し、戦争終結後には責任者の処罰を求める事を強く警告していた。しかし、この時点ではナチスのホロコーストなどの犯罪行為をそれまでの戦争犯罪の定義の範囲でしか捉えておらず、問題視されていたのも戦時国際法規違反のみであった。